学生時代は特に優秀でもなく、惰性で高校へ進んだ凡庸な主人公・鳥井一樹。そんな彼が、今やどんな商材をも売ってのける天才セールスマンへと名を轟かせるほどになっていた。周囲から見れば栄光に輝いて見えているが、当の本人はどれほど目標を達成しても心が満たされない喪失感に蝕まれていた。そんな鳥井のもとへひとつの不可解なアポイントが入る。その訪問先で見た“異様な光景”をきっかけに思いもよらない展開へと巻き込まれていく。そこから物語は一気に様相を転換し、鳥井は「殺人会社の営業マン」へと転身することになる―。

 文体の読みやすさに加え、その場にいるような臨場感あるバランスの良さ。鳥井一樹の人柄にフォーカスを当てた序盤は鳥井の心情がしっかり描かれ、人柄に引き込まれていく。しかし物語が進むにつれ鳥井の心理描写は薄れていき、代わりに状況だけが淡々と描かれ始める。その変化が鳥井の心を狂気の世界へといざなわせる過程のようで、鳥井の沈黙が闇を突き付けてくる。

 後半、だまし合いの心理戦が加速し、物語のスピード感も一気に高まる。ハラハラ、ドキドキと胸をつかまれながら、鳥井の行く末から片時も目が離せない。巧みに積み上げられた物語が迎える結末は、実に美しく感じた。普通の世界で生きてきた鳥井一樹が殻を破り一流の殺人会社の営業マンへと変わっていく姿に、応援してはいけないと思いながらも、かっこよさに惹かれてしまう。相反する感情を持ちつつ、不思議な感覚のまま続編への期待が膨らんだ。

 エンタメ性を兼ね備えた、味わいのあるミステリー作品だ。(灯)