第1次世界大戦中(1914~18年)、カナダBC州バンクーバーに住んでいた日系移民約200人がカナダ軍の義勇兵として出征した。和歌山県出身者は12人、このうち日高地方出身者が4人いたことは分かっていたが、新たに4人が当地方出身であることが、歴史や軍事に詳しい印南町印南原、古田和豊さん(45)の調べで分かった。出征した北フランスでの日々をつづった手紙も見つかった。

日本人ら世界中から集まった兵士で構成されていた英連邦軍

 これまで判明していた4人は、三尾村(現美浜町三尾)出身の尾浦熊吉さん、二井藤市(につい・とういち)さん、浜出文吉さん、由良村中(現由良町中)出身の原新吉さん。尾浦さんは28歳、原さんは32歳で戦死し、二井さんと浜出さんは生還したが、その後の生活ぶりは詳しく分かっていない。

 今回新たに日高地方出身と分かったのは、比井崎村方杭(現日高町方杭)出身の井上勘太夫さん、上南部村晩稲(現みなべ町晩稲)出身の山本乙松さん、東内原村萩原(現日高町萩原)出身の崎山茂吉さん、松原村吉原(現美浜町吉原)出身の久保安吉さんの4人。

 井上さんは1916年8月に渡仏、10月に第52大隊に転属。翌年8月の書簡(一部抜粋)には「5月5日、敵弾の為に左眼を失い、他に二カ所の傷を受け英国に送られ、英京倫敦(ロンドン)に於いて14日間休養。マーク、C3にて加奈陀に帰ることになりたる」などとつづられており、片方の目を失い帰国することになったことが記されている。古田さんによると、同年のヴィミーリッジの戦いに参加していたと推察されるという。

 山本さんは175大隊として16年9月に渡欧し、翌年から第50大隊に所属。同じ隊だった日本人の著書などから、腹部の病気で切開手術を受けたようで、英国に送られて本国送還になると聞き、戦傷ではない病気で帰国するわけにはいかないと憤慨していたという。フランスに到着後すぐに入院手術して本国に戻ったとみられるが、詳しくは分かっていない。

 崎山さんは鉄道隊と記されていたが、第一線に志願し、17年3月に第24補充大隊として渡仏、第24大隊工兵隊に所属。過去には日露戦争にも従軍し、その際に授与された徽章を閲兵式で身につけていたとの記述がある。同年5月の書簡(一部抜粋)では「3月18日渡仏以来、早々戦闘に従事し過日来の〇〇〇〇〇(伏字)大戦闘に参加致候の実に驚き入る程の大戦にて、何分敵は毒瓦斯(毒ガス)ばかり猛烈に使用し、英軍は思うように働かれず」とある。記述等からヴィミーリッジの戦いに参加したとみられている。

 久保さんも鉄道隊としての渡仏を好まず、第一線に志願。崎山さんと同じ第24補充大隊に転属したが、その後は不明。戦地に最後までいたとみられるが、詳しくは分かっていない。

 すでに判明していた尾浦さんらが家族に宛てたとみられる手紙も新たに見つかった。弾薬運搬の鉄道敷設作業に勤務中との手紙には、敵から12㌅または14㌅のトレンチ・モーター(迫撃砲)による砲撃を受けている内容がつづられ「その爆発力の強き事、かつ地盤の崩れ込む事、ちょうど紀伊水道の満潮の渦巻きの如し。毎夜五つや六つは必ず飛び来る」など、ほかにも当時の激しい前線での戦闘が目に浮かぶ記述が多数残っている。

 古田さんはこれらを国立国会図書館デジタルアーカイブの「加奈陀之宝庫」で検索して見つけた。「当時を知る上で非常に貴重な資料。全文検索できる範囲が拡大されていっているので、これからもよりさまざまな分野での発見があるだろう。こういう日本人がいたことを多くの人に知ってもらいたい」と話している。