
8月のテーマは「涼」。明治期の文豪の掌編をご紹介します。
「杯」(森鴎外著、新潮文庫「山椒大夫・高瀬舟」所収)
高校の国語教科書にも掲載。少女たちのあどけない姿に託して、当時の文学界への批判が示されているといわれます。
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温泉宿から鼓が滝へ登って行く途中に、清冽な泉が湧き出ている。
水は井桁の上に凸面をなして盛り上げたようになって、余ったのは四方へ流れ落ちるのである。
青い美しい苔が井桁の外を覆うている。夏の朝である。
泉をめぐる木々の梢には、今まで立ち込めていた靄が、まだちぎれちぎれになって残っている。万斛(ばんこく)の玉を転ばすような音をさせて流れている谷川に沿うて登る小道を、温泉宿の方から数人の人が登って来るらしい。(略)
「早く飲みましょう」
「そうそう。飲みに来たのだったわ」(略)
皆銀の杯である。大きな銀の杯である。日が丁度いっぱいに差してきて、七つの杯はいよいよ輝く。七条の銀の蛇が泉をめぐって走る。


