本紙で連載している「昭和100年」の中で、戦時中の由良町にあった紀伊防備隊や、その周辺に残る戦争関連施設について取材した。ある程度の知識はあったが、先人が残した資料や町史、調査・研究を行う人々への取材などを通じて、改めて理解を深めることができた。

 特に印象的だったのは、隊に1600人以上の将兵が駐屯していたということだ。それほど大規模な基地であったという事実に驚かされた。基地内では艦船が出入りし、ラッパが鳴り響くなど活発な様子で、基地の外でも将兵の宿舎があったり、面会に来た家族と街中で過ごす姿が見られたりと、にぎわいに満ちていたという。いまでは人通りも少なく、静かな印象のある由良町だが、戦争前は多くの軍関係者らで活気づいていたのだろうと、想像をめぐらせた。

 しかし、開戦後は様相が一変したに違いない。制空権を奪われ、船舶の被害も相次ぎ、隊の活動も一層重要性を増したことだろう。そして、軍事施設があるということは、敵の標的になるということでもある。実際、空襲によって海防艦が沈められるなど、大きな被害も出た。終戦後、隊は解散し、基地の敷地の一部は海上自衛隊由良基地分遣隊として活用され、他の部分は中学校や役場の敷地に転用された。

 それでも、隊の周辺には今もなお、高角砲の跡や弾薬庫の跡が残っている。いくつかの弾薬庫は、当時のままに近い形で保存されており、戦争の痕跡を今に伝えている。戦争を「知識」として学ぶことと、現地に残る遺構を前にして感じる「実感」とは、まったく違う。こうした「物言わぬ遺構」が、静かに伝える過去の記憶をつないでいかなければならないと感じた。(城)