このところ、俳優や知人の名前が出てこない。平均的な老化だろうと笑って自分を慰めつつ、あまりの多さに正直、不安も感じているが、つい先日もこんなことがあった。

 家の近くの農地は米と野菜の二毛作で、いまは露地の豆を栽培されている。天気のいい休日の午後、居間で本を読んでいると、窓から懐かしいメロディが聴こえてきた。

 音源は、豆を収穫中の人がそばに置いているラジオ。日本人女性のやさしい歌声だが、音量はかすかに聴こえる程度で、しばらくして歌は終わった。はて、いまのはだれの何という歌だったか。

 スマホのラジオアプリで、各局のオンエア曲をさがすも見当たらない。せめてサビの歌詞でも分かれば検索できるのだろうが、手がかりは頼りないメロディだけ。家族にハミングを聞かせてみても、眉間にしわが寄っただけだった。

 翌日、職場の仲間に尋ねても解決できず、あきらめ気分で「ド…ソファファ…ラド…」とネットのピアノをたたいていると、同僚が「それならこれはどう?」と、のび太を助けるドラえもんのように、鼻歌検索という未来の道具(アプリ)を出してくれた。

 ピアノを弾ける同僚がハミングをメロディに換え、それをアプリに聞かせたところ、一瞬で正解が見つかった。AIのおかげで面倒な初老のおっさんはすっきりしたが、その場にいた誰もがその曲を知らなかったのは喜び半減だった。

 それはジブリ作品「海がきこえる」の主題歌で、坂本洋子さんがうたう「海になれたら」。たしかに、テレビではほとんど放送されておらず、自分も一度も見たことがない。ではなぜ、あの曲が引っかかったのか。もう怖くて誰にも聞けないでいる。(静)