30年前の3月20日朝、同僚から「東京でどえらい事件が起きた」と聞き、慌てて編集部のテレビをつけると、地下鉄で毒ガスのようなものが発生し、何百人もの人が路上に倒れている映像が目に入った。
オウム真理教が起こした無差別テロ。3つの路線の車内で毒ガスを発生させ、計14人が死亡、約6300人が負傷した。現場の液体を分析したところ、ナチスドイツが開発した神経ガスのサリンであることが判明した。
警視庁は毒物専門の研究員による科学特捜班をつくり、サリン生成の実験ノートの解読を依頼されたリーダーはそれを見て、「日本にこんなことを考える人間がいるなんて…」と背筋が凍った。
特捜班に抜擢された科捜研の研究員はこの事件が起きるまで警視庁の日陰者だったが、指揮者の命を受けてサリン工場(第7サティアン)の捜査に立ち会い、窯などの残存物からサリン生成の決定的証拠を発見した。
サリン製造の中心人物は、難関国立大大学院で有機物理化学を研究した教団幹部。刑事の取り調べに完全黙秘を続けたが、毒物のエキスパートである特捜班のリーダーには心を開き、サリン製造を認める供述を始めた。
科学に生きる2人はともに優秀な研究者だったが、いつしか正義と悪の対極にいた。大学、社会の理想と現実の間であがきながら、一方は道義心、自尊心を保ち、一方は居心地のいい教団内で腐敗に導かれていった。
家族や組織の要請に折れて成功を手に入れるより、輝きはなくとも人として譲れぬ良心を保ち、自分の意思に基づいて生きたい。人が腐敗、悪に堕ちぬよう、子どもを守る家族、健全な心を育む教育、政治を取り戻さねば。(静)