「自分の常識は他人の非常識」という表現がある。ドイツの物理学者アルベルト・アインシュタインが言った「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」に由来するそうだ。
先日、肉や野菜の串を自分のテーブルにセットされた油で揚げながら食べられる飲食店に初めて行った。最初、システムが分からずスタッフに説明を聞き、散々おいしく飲み食いしたあと、こちらのやり方が間違っていたことが判明。最初に説明を聞いたスタッフとは別のスタッフが血相を変えて注意してきた。
その店では水溶き小麦粉とパン粉が入った大きな容器があり、筆者はその容器に直接材料を入れて衣にしていたが、水溶き小麦粉とパン粉を皿に取り分けた上で自分のテーブルに持っていき、具材に付けて衣にするのが正解。もちろんそんな詳しい説明は聞いていないし、最初に色んな種類の皿の使い分けを質問した時も、「お好きなように使っていただければ」と答えてくれただけだった。せめて「この皿にはこの小麦粉を入れて」みたいな説明があれば…。
確かにいま思えば具材の付いた串をみんながみんな、小麦粉などの容器に直接入れると味移りがするし、衛生的にも問題があるかもしれない。申し訳ない気持ちがある半面、スタッフがもっとちゃんと説明してくれればよかったのにとも思う。そのスタッフにすれば「そこまで説明しなくても分かるだろう」という思いがあったのかもしれないが、自分が分かっていること、その常識が他人に伝わっているとは限らない。常識の押し付けで人に迷惑、不快な思いをさせていないか、筆者自身もあらためて考えてみたい。(吉)