日本文学史に名を残す大岡昇平のミステリーである。なぜ文学者がこの小説を書いたのか? 読み進めていくと次第に分かってくる。

 事件は神奈川県高座郡金田町(架空)で起こった殺人事件である。犯人は未成年の宏という十九歳(現在の法律では十八歳未満)の見習工。宏にはヨシ子という同年齢の恋人がいた。彼女は妊娠三か月であった。被害者はヨシ子の姉のハル子二十四歳である。そしてハル子の情夫がヤクザの宮内であった。ハル子は未成年のヨシ子が子供を産むのに反対で、中絶しろとヨシ子に迫っていた。殺害の動機はこのヨシ子の中絶を迫ったことによる犯行とされた。しかし弁護士の菊池はその裁判の過程のなかで被告宏の犯行を覆そうとして弁護を繰り広げていく。

 作者(大岡昇平)は、宏の殺人事件の裁判過程において、今日の日本の刑事裁判の矛盾を指摘しているように思えるのである。
 今の日本では袴田事件(死刑判決が言い渡され、再審で無実になるまでは五十八年を要した)のような冤罪事件が起こっている。

 昭和五十二年に発表されたこの小説は、それは刑事裁判そのものに問題があるのではと問いかけているようである。

 例えば本文には、
 ―英米法では、嬰児殺しは別罪となっているし、殺人にも謀殺、故殺、傷害殺人など等級をつけている(中略)。これはいわゆる応報主義という考え方に基づいている。ところが日本では教育刑主義が入っていて、情状によって、無期、十五年という風に刑が軽減される。教育刑主義となれば、被告を何年刑務所に服役させるかという判断は、純粋に司法権の発動ではなく、刑政という行政処置に係って来る。―

 また、本作品ではさかんに集中審理方式という用語が出てくる。これは裁判のスピード化ということを示した用語である。裁判のスピードアップに反対する者はいないだろうが、一週間に二回も三回も公判期日を詰め込んでしまうのは、被告側からみれば充分な弁護の準備期間を奪うものではないのかと、本作品で指摘もしている。

 この小説では未成年の宏の殺人事件は、殺人罪ではなく(殺意はなかったと判定され)傷害殺人罪となり、懲役二年から懲役四年の不定期刑(未成年ゆえ)が判決として言い渡される。
 日本の刑事裁判のあり方に一石を投じた作品と云えるのではないだろうか。(秀)