先の静岡で起きた一家4人殺害事件の再審公判は、裁判長が最大の争点となった血のついた衣類を「捜査機関による捏造」と断定し、いったん死刑が確定した被告の男性に、逮捕から58年ぶりに無罪を言い渡した。

 個人的には、この結果に対するマスコミ報道は予想を超えるほどではなかった。死刑確定から40年、男性と家族には本当に長すぎる苦しみであり、二度とこのような事件と不十分な捜査が起こらないことを願う。

 一方で、犯行があまりに残虐、理不尽であれば、それが殺人罪でなくとも、自分とはなんの関係のない事件であっても、犯人に対して「こんなやつはさっさと死刑にしてしまえ」と思うこともある。
 凶悪事件は犯人検挙に時間がかかるほど報道が過熱し、国民の関心は高まる。刑の確定後に再審が認められる事件は、捜査機関が勢い、強引な取り調べや無理な証拠集めに走り、公判維持に有利な精神・科学捜査鑑定を求めてしまっているようだ。

 判決とは、証拠のみを判断材料に裁判官や裁判員が有罪、無罪を見極めた結果。無罪であっても、有罪とするには証拠が不十分という話で、必ずしも疑いが完全に晴れる訳ではない。

 SNS社会のいまは誰もがいつでも、犯罪を目撃すれば瞬時に告発者となれる。死刑確定後に再審を求めている事件はほかにもあり、最近は26年前に和歌山市の夏祭り会場で起きた毒物による無差別殺傷事件がクローズアップされている。

 11・12月は人権に関する街頭啓発や講演会の季節。私たちはネット情報や報道に興奮することなく、裁判とはそういうものだと冷静に受け止めねばならない。(静)