まだまだ残暑が厳しいですが、9月のテーマは「秋」。井上靖の自伝的小説をご紹介します。
 「しろばんば」(井上靖著、新潮文庫)
 伊豆の自然を舞台に物語が展開。ある年の秋、台風を境に村に秋がやってくる様子が季節感豊かに描かれます。
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「洪ちゃ、洪ちゃ、雨が漏ってきた。起きておくれ」
 おぬい婆さんは言った。ごうごうたる風雨の音に土蔵は包まれている。洪作は暴風雨も暴風雨だったがひどく睡かった。

「雨が漏ってもいいじゃないか」「それが、洪ちゃ」おぬい婆さんは言葉を切って、「蒲団の上じゃがな、蒲団の上に雨がおっこちている」
 蒲団の上と聞いては洪作も寝ているわけには行かなかった。(略)

 台風の翌日から本格的な秋晴れの日がやってきた。残暑は台風を境にぷっつりと切れて、あとは冷え冷えとした秋風が村を渡った。十月にはいると、熊野山や、「かんざぷと」と呼ばれている丘の雑木が、ところどころ葉裏を見せて銀灰色に輝いた。