「ここに泉あり」という映画がある。昭和30年(1955)公開、群馬県の市民オーケストラが交響楽団となるまでの実話に基づいた映画である。今月24日に他界された和歌山室内管弦楽団代表の中西忠さんはこの映画に感動したことから、山間部の小学校等を巡回しての演奏活動を始められたのだという◆初めてお会いしたのは20年以上も前、楽団の演奏会を取材した時だった。パワフルな指揮で力強い音を引き出し、「ラデツキー行進曲」では指揮台から観客席を振り返って「さあ、皆さんもご一緒に」と言わんばかりに手で合図して手拍子を誘っていた姿が印象に残っている◆何度か取材の機会を持ち、やがて随筆を本紙で連載。目が不自由になられてからは奥様が代筆、二人三脚で連載を続けてくださった。テーマは音楽の周辺から幼少時、青春時代の思い出、環境問題、教育問題と実に幅広く、通しタイトルは「ここに泉はなかった」。群馬県の市民オーケストラとは違い、自身の活動するオーケストラの地元ではクラシック音楽を愛好する空気が醸成されなかった、というスパイスの効いた皮肉なタイトルである◆原稿をいただきに毎月ご自宅を訪ねると、書かれた内容以上にたくさんのことを語ってくださった。クラシックのみならずタンゴの歴史、古賀メロディーと呼ばれた古賀政男作曲の昭和歌謡についても豊かなご見識をうかがい、元々好きな音楽がもっと好きになった。その時間の記憶は、今も泉のように蓄えられている◆通夜式では、山間部でのコンサートを懐かしむ人からの手紙も紹介された。幼い頃いい音楽と出会った人の心の奥底のどこかに、音楽を愛する心はきっと湧き出し、表面には出なくとも脈々と息づいていることと思う。(里)