「夏休み」という言葉の響きはいつも魅力的だ。40日の自由時間など望むべくもない今でも、小中学生時代の、学校へ行かなくてもいい(登校日を除いて)長い休みの始まりの日に感じた解放感はよく覚えている◆中学生になった12歳の夏は特別なものだった。いろんな物語を読むのが好きだったが、自分で「書く」ということをやってみてもいいのではないかと初めて思いついたのがその頃のこと。アメリカのミステリー小説にハマっていたので、アメリカを舞台に2人の少年探偵のコンビが活躍するという設定を考えて「これは面白い」と有頂天になり、毎日早朝に起きだしては机に向かい、いろんな場面を断片的にノートに書きつけていった。しかし、謎めいた場面は考えられても真相が自分でもまったく分からず、もちろん解決もできず、話の断片は断片のまま終わった。3年ばかりして読み返し、あまりのお粗末さにあきれて全部捨ててしまったのは残念なことをしたと思う。今なら逆に面白いので取っておくのだが◆頭の中にあるうちはどれも名作ぞろい、それを実際に人様の鑑賞に耐えるようにするためには才能と相当の努力、精進が必要だ。そう思い知った今も、あの夏の朝に胸を支配していたワクワク感は格別のものとして思い出せる。実際にはまだ何の能力もないのに、なんでも書けるような気がしていた。夏休みの第1日目、まだ何もしていないから、あらゆる「可能性」が損なわれずに目の前にあった◆世界はいつも驚きと発見に満ちている。そんな目で周囲を見ることができる、幸せな子ども時代の記憶がどの子どもの胸にも残ればいいと思う。誰にとってもそんな夏休みになればいいと思う。過酷な現実ばかり報じられる時代だからこそ。(里)