南北朝時代の山城として伝承されてきた御坊市藤田町吉田の八幡山城跡で初めて発掘調査が行われ、遺構や遺物を確認。確かにそこに城が存在していたことがはっきりと証明された。
この城は1346年(興国7)に、旧矢田荘吉田村領主の吉田蔵人源頼秀が築城。頼秀は政所として、土生城主の逸見氏や日高川筋の山崎城主川上氏と姻戚関係を結んでこの地を治めていた。そんな歴史を後世に伝えようと、頼秀の子孫である吉田擴さんらが公園化計画を進めていることに伴う発掘調査。去る22日には現地説明会が開かれたが、予想以上に多くの人が参加。パソコン、スマホ、AIなどデジタル化社会が急速に進む中も、こういった歴史遺産は根強い人気があるのだとあらためて感じさせられた。
発掘調査では柱穴や土師器(はじき)皿などを確認。籠城するための城ではなく見張り程度に城詰めしていたと考えられる半面、城の周囲に2重に横堀を巡らす防御性に優れた構造であった可能性が高い。また、発掘された直径30㌢の炉は穴の周囲が赤く硬化しており、高熱を伴う小鍛冶などの作業を行っていたこともわかり、籠城のための城ではないというものの、いざという時には敵の侵入にも機動的に対応できたのではないだろうかと、南北朝時代に思いをはせるのもいい。
八幡山の公園化では今後、吉田八幡神社への参道を延長する形で遊歩道も整備する計画。近隣には亀山城、手取城、山崎城のほか、新たに和佐城(仮称)の跡が見つかったことも報告されており、歴史マニアらをターゲットにした新たな観光にもつなげられるのではないかと、大いに期待している。(吉)