6434人が亡くなり、3人が行方不明になった阪神・淡路大震災の発生から、17日で丸29年となった。今月1日に起こった石川県能登半島地震では、耐震性の低い建物の倒壊で死者数が増え、長引く避難生活による災害関連死も出ている。そんななか、能登半島地震で被災地へ和歌山県緊急消防援助隊として派遣されていた日高広域と御坊市の隊員をそれぞれ取材。甚大な被害、困難だったという活動について聞いた。

 いずれも現地で撮影した写真を見せてもらいながらの取材。土砂崩れの現場、亀裂が入り隆起した道路、倒壊家屋と、目を覆いたくなる惨状だった。聞くと、海も山も近く日高地方と重なるような景色だったという。近い将来、南海トラフ地震の発生が危惧されるなか、備えとして「何をしておけるか」、実際に起こったとき「何ができるか」、あらためて考えさせられるものがあった。

 能登半島地震では先日、「奇跡じゃなく訓練」という見出しの新聞、テレビのニュースが目を引いた。それらによると、地震と津波で壊滅的な被害を受けた珠洲市三崎町で、約40世帯90人ほどが暮らす町北部の寺家下出地区も、地震から間もなく津波に襲われて多くの住宅が倒壊。それでも大半を高齢者が占める住民は5分以内に高台に避難して全員無事だった。

 地区では東日本大震災をきっかけに避難訓練を行っており、住民は「奇跡じゃなくて訓練が生きた」と振り返ったというもの。「教訓は失敗談。それを伝え、同じ失敗がないようにしたい」と、石川県の被災地に派遣される神戸市の職員がテレビでコメントしていたが、まさに教訓を生かした成功例だろう。失敗を繰り返さず、新たな教訓を生まないよう、しっかり備える必要がある。(笑)