津波防災研究会の有志が今月20・21日、2011年3月の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城と岩手県を視察、筆者も同行した。被災から12年が経過した現地は地震、津波の被害があった痕跡がほとんど分からないぐらい、建物や道路がきれいに整備。海岸線にいけば真新しいコンクリートの防潮堤や水門がまるで城壁のように地域を守っていた。

 被災者の傷ついた心はそう簡単に癒されるものではないと思うが、まちは見事に復旧、復興を遂げ、石巻市では旧北上川沿いでかわまちづくり計画を推進。堤防整備とともにレストランなども設けられ、平日にもかかわらずにぎわっていた。半面、「奇跡の一本松」がある陸前高田市の高台移転された商業施設や宮古市田老町の浄土ケ浜の産品販売所などは人の姿があまり見当たらない。被災直後やその後しばらくは救助隊や視察団など多くの人が訪れ、防波堤や水門をつくるため建設業者にもたくさんの仕事があったと思われるが、日本最大となる宮古市の水門工事を残して海岸線での津波対策がほぼ完了してしまったいまとなっては、復興の特需はない。被災地では一度、故郷を離れてそのまま他の地域に住んで戻らなくなったり、震災のトラウマからこの地域で住めなくなったりする人もおり、人口が大幅に減少している地域もある。復興後のまちの維持、発展が実は一番難しい課題なのではないかと感じた。

 そういった意味でも、できることなら大きな被害を受けない強靱な防災対策を事前にしておきたいもの。御坊市や周辺町の津波避難困難地域は解消されているが、さらなる対策の強化で地域住民の安全、安心が守られるよう期待したい。(吉)