シルク(法人)、キャロット(法人)、サンデー(法人)、キャロット(法人)、シルク(法人)、北島三郎、サトミホールディング(株)、居城寿与、サンデー(法人)。

 さてあなたはこれらの書き出しからいったい何を連想するだろうか。ヒントは六番目の北島三郎である。いわずと知れた演歌の大御所。これは過去十年間の有馬記念の優勝馬の馬主の名前である。北島三郎は二〇一七年の有馬記念に武豊を擁してキタサンブラックで勝っている。有馬記念の優勝賞金は五億円である(これは毎年上がっている)。庶民には及びもつかないお金であるが、馬主ならずとも競馬ファンには堪えられない一大イベントなのだ。

 競馬の醍醐味はもちろん払い戻し(つまり賭け)であるが、それだけが競馬の魅力ではないとわたしは思っている。その一つが表彰式だ。

 競馬の表彰台には五人の関係者が上がる。優勝馬に乗った騎手と、この馬に関わった人々。それは調教師、厩務員、生産者、そして馬主である。その馬主の過去十年を冒頭に示させてもらった。これらの人々の血と汗が馬に乗り移り、優勝を勝ち取るのである。ムリを承知で言うと、このメンバーの中に馬券を買った人も加えて欲しいとわたしは思っている。馬券を買った人も同じように夢を見ているからである。馬券を買った人の人数が多すぎるので(有馬記念は特に多い。競馬場だけでも何万人も駆け付ける。場外やネットを合わせると数百万人もいるかも知れない)そこで提案する。抽選で一人を表彰台に上げるのはどうだろう。でも、ムリだと思うが…。

 そんな競馬の必須アイテムと云われるのが競馬新聞である。本書にはその新聞に関する以下のような文章がある。

 ―一枚の新聞には、さまざまな「歴史」がつまっている。

 だが、それをすみからすみまで読み取るのは想像力である。ヘミングウェイが、マドリッドのカフェでジョージ・ブリストンに、

 ―君はレースを見に出かけるかい?

 ―ええ、ちょいちょい。

 ―じゃあ、レーシング・フォームを読んだだろう。ほんとうの小説技術ってのは、あれさ。

 と語ったように、競馬の新聞には馬の歴史が複雑に交錯していて、それが文学(とりわけ散文)の世界のような構造をもっているのである。―
これは本文の「戦いを記述する試み」の中の一文である。

 多くの競馬ファンが競馬場に駆け付け(あるいはテレビの前で)馬券を握りしめ、一年の総決算と来年の行く末を占う有馬記念がもうすぐ始まろうとしている。しかし、著者(寺山)はこう言うのである。

―スタンドには七万人のファンと、そして七万人の死神がひしめいているのであり、だからこそレースは、いつでも花やいで見えるのではないだろうか?―
 あなたは、有馬記念に、どの馬が花やいで見えるのでしょうか?(秀)