この人のことは、これまで本欄でも折に触れ何度も書いてきた。二代目市川猿翁、前名は三代目市川猿之助。今月13日、83歳でこの世での生命を終えられた◆歌舞伎という、400年以上の歴史を持つ伝統芸能に筆者が魅入られてしまったのは、一にも二にも三代目猿之助丈のおかげだった。1999年秋の御坊公演「伽羅先代萩」、さらにその年に大阪松竹座で行われていたスーパー歌舞伎「新・三国志」。知恵と情熱の結晶である舞台は素晴らしく、それから時間と懐の許す限りいろいろな演目を観に松竹座へ通い詰めた◆「新・三国志Ⅱ」の諸葛孔明。「大江山」の酒呑童子。「黒塚」の鬼婆。「ごんたくれ」の語源となった「いがみの権太」の権太。どの役もそれぞれに、ボリュームのある体と響きのいい明るい声音で、見る人の耳目を惹きつける魅力と存在感に満ちていたが、なんといっても最大の当たり役は「義経千本桜」の源九郎狐だった。両親の皮でつくられた鼓を慕う、いじらしくも健気な子狐。欄干の上をかるがると走る、無邪気な子狐。今も、重力から解放されたような軽快な動きが目に浮かぶ◆「天翔ける心、それが私だ」―スーパー歌舞伎第1作「ヤマトタケル」のクライマックスで、地上での生を終えて白い鳥に化身した主人公の独白である。その言葉は、演者自身の生き様と重なる◆世間という、種々雑多な物事が混然一体となった世界。そこでたとえ何が起ころうとも、そんなことは一切寄せ付けない舞台というピュアな空間。その中で展開される芸という魔法で、人々にこの世を生き抜くための力となる喜びを与えるべく、ひたすら高みを見晴るかしていた。それはまさに「天翔ける心」。その唯一無二の輝きは、見た者の胸に永遠に残るだろう。    (里)