今月7日で生誕100年となる「司馬遼太郎」が今月のテーマ。今週は、著者が集めた歴史の「余話」を一般読者に紹介した一冊。

 「余話として」(司馬遼太郎著、文春文庫)

 ささやかな歴史の隙間のエピソードを収めた一冊。一つの逸話を紹介します。

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 Lさんという旦那がいる。銘木界の英雄のひとりである。(略)小僧のころ、たまたま奈良へあそびにゆき、春日神社の参道の入口にある巨大な春日杉をみて、「自分も生涯のうちで、これだけの杉を落札したいものだ」と、おもった。(略)この杉が数年前からかたむきはじめた。そばの燈籠の横に人家がある。もし台風などがあて倒れてしまうと人家がひとたまりもなくおしつぶされるというので、この春、県が一本売りにして売りに出したのである。(略)Lさんは相場もなにも黙殺して、二千三百万円というべらぼうな高値をつけることによって、みごとに自分の手におとした。(略)この杉をさばいてみると、直径六尺、長さ十間、色はみごとな赤味で、しかも空洞どころか虫食いひとつなかった。Lさんの感傷的な高買いがみごとに商売になって、倍ちかい四千万円で売れたという。(略)市をみていたとき、「あれがLさんや」と横の知人が教えてくれたが、人垣ごしにやっと背中が見えただけであった。