ちょうど10年前の2013年7月、山口県周南市の山間部の限界集落で住民5人が殺害され、2軒の民家が放火される事件が発生しました。6日後、近くの山の中で重要参考人の地元の男(当時63歳)が見つかり、逮捕され、その男が1人で暮らす家の窓には「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という川柳の張り紙があり、住民わずか12人の山奥の集落で起きた事件は「平成の八つ墓村」とも呼ばれ、世間の耳目を集めました。が、その後も毎年のようにショッキングな事件が起きるせいか、正直、記憶からは完全に消えていました。

 昨年、この事件のその後の村を取材する女性ライターの奮闘を描いたラジオドラマを聴き、今年になって原作である本作を読みました。容疑者は精神鑑定を受けて殺人と非現住建造物等放火の罪で起訴され、警察と検察の捜査段階では容疑を認めていましたが、一審の初公判から両罪ともやっていないと否認。2015年7月の判決公判では、求刑通りの死刑が言い渡されました。16年7月の控訴審初公判は弁護側の主張はすべて却下され、9月の判決は一審の死刑判決を支持、控訴は棄却となり、19年7月の最高裁判決も結果は変わらず、死刑が確定。その後、弁護団は裁判のやり直しを求めるも認められず、昨年12月、最高裁に対して特別抗告を行ったことが先月、明らかになりました。

 本作は横溝正史の小説のような事件のその後を追い、拘置所内の被告人と面会、文通を重ねながら真相に迫ります。これといった新たな証言、証拠は見つかりませんが、「都会からUターンした犯人は田舎になじめず、住民からいじめられていた」といった、多くの人が受けたであろう事件に対するイメージは真実ではなく、事件後の調べの中で被告人がさらに妄想を深め、何がどこまで現実なのか、本人自身が区別できていない状況が浮かび上がってきます。

 後半は、連続殺人などの身勝手な凶悪事件で争点になりがちな被告の責任能力の有無を見極める精神鑑定について著者の考えが述べられます。加害者側と被害者側の双方の立場から、医師ら専門家でさえ意見が分かれ、さらにそれを受けて素人ばかりの裁判員が意見をまとめ、明確な運用基準がない司法の精神鑑定の在り方に疑問を呈しています。

 ちょっとしたホラー小説気分で手に取ってみたのですが、そんな軽い話ではまったくありません。現実は小説より奇なり。家族の死や経済的な危機からコミュニティーで孤立し、うわさ話が被害妄想、憎悪を生み、悲惨な事件や悲しい自死につながってしまう。そのヒトコワな社会に背中が冷たくなりました。

 事件には加害者と被害者がいて、そのどちらでもない人はすぐに事件を忘れてしまいがちですが、現実はどれも、自分には関係ないと思っていた人が当事者となっているのでしょう。(静)