ダウンタウンの唯一の育ての親、とダウンタウン自身も認める吉本興業元会長、大崎洋氏の著書をご紹介します。2週間で5万部という異例の売れ行きです。

 内容 「休みが多そう」と入社した吉本興業。東京事務所勤務となった時に漫才ブーム到来。毎日2~3時間の睡眠でフラフラになった。できたばかりの養成所「NSC」で1期生の松本人志・浜田雅功を見て衝撃を受ける。才能はぶっちぎりだが従来の漫才と違いすぎてお客に分かってもらえない。頼まれもしないのにマネージャーを買って出て、2丁目劇場に2人をはじめ若手芸人をどんどん出してMBS「4時ですよ~だ」で生放送を始めると、人気は急上昇。ダウンタウンは東京進出するが、会社からは「大阪に残って新喜劇を担当しろ」。「思うようにいかんもんや」と思いながらも「しゃーない」と新喜劇を大改革し、若手芸人の場づくりに奔走。その後、なんとか東京に行ってダウンタウンの大躍進を牽引するのだった。2009年、著者は社長に就任するが、芸人の不祥事や闇営業問題等、厄介ごとが次々に襲いかかる…。

 私は1989年1月にダウンタウンのファンになり、その年の秋には「大崎洋」の名を知っていました。「4時ですよ~だ」という記念碑的番組が終了し、「これからどうなるんだろう」と関西のファンが期待と不安に揺れていた頃、全国紙のリレーコラムを大崎さんが5回にわたり執筆。2丁目劇場の空気を「舞台にも客席にも元気印が張り付いとる」と観客から評価されたこと、ダウンタウンの2人の体からは「強烈な個性がにじみ出ていた」こと、元気に見える若い芸人たちの内面にどうしようもない孤独があること、彼等一人ひとりの持ち味を生かすべく頭をしぼっていることがつづられていました。当時低迷していた新喜劇の担当となって「偉大なる田舎・大阪でどうしたらいいか考えている」と心情を吐露していましたが、その後「新喜劇やめよっカナ?」キャンペーンを見事成功させ、全国区に押し上げて今に続く長い黄金時代へと導いたのでした。

 それやこれやで、ダウンタウンの天下取りをリアルタイムで見ながら、彼等のトークにちょいちょい出てくる大崎さんってすごい人なのかもしれないと思っていました。本書を読むと、あらためてダウンタウンと大崎さんの出会いは3人全員にとって凄いことだったんだなと、縁の不思議さをつくづく思うのでした。「3人目のダウンタウン」とのダウンタウン関連本での表現は言い得て妙、本人も気に入っているそうです。

 ただ生き方指南というようなスタンスが私にはちょっとなじめなかったのですが、ネットのレビューをみるとそれが好評で、「勇気をもらえた」との声が多くみられました。先達のこういう肩の凝らないアドバイスが、切実に必要とされている時代なのかもしれません。(里)