読売新聞朝刊に連載、最近文庫化されて20万部以上のベストセラーとなっている時代小説をご紹介します。時代は幕末、桜田門外の変直後です。

 物語 時は万延元年(1860年)。大身の旗本、青山玄蕃(げんば)は姦通の罪により、所領安堵と引き換えに切腹を言い渡されるが「痛えから嫌だ」と拒否。お家は闕所となり、玄蕃には「蝦夷松前藩御預」の流罪判決が言い渡される。遥か蝦夷地へ玄蕃を送り届ける押送人には、弱冠19歳の見習い与力、石川乙次郎が選ばれた。

 貧しい御家人から与力の家へ婿養子に入った乙次郎は、病気で引退した義父に替わって無事に務めを果たすべく肩に力が入っており、生真面目に毎日を過ごしている。

 姦通という罪を憎み、玄蕃の半分ふざけたようないい加減な物言いに腹を立て続ける乙次郎だが、しかし玄蕃は姿かたちがよく、洒脱な会話にも温かみや思いやりが含まれ、出会う人々を魅了する。

 長い道中、それぞれに悩みを抱える庶民たちと同宿するが、玄蕃の人情味あふれる機転はたくまずして彼等を救っていく…。

 道中記、今風にいえばロードムービー。子ども向けに訳された「東海道中膝栗毛(弥次さん喜多さん)」を読んでいた頃から、男2人の掛け合いを楽しむ道中記は好きなジャンルなのですが、これは普通の旅ではありません。

 本書の魅力の最たるものは、切腹を拒否した旗本、青山玄蕃のキャラクター。生真面目で潔癖な見習い与力の乙次郎は玄蕃の自分をからかうような言動に目くじらを立てっぱなしですが、その実、彼の人間的な魅力、懐の広さに所作や言葉の端々から気づいていき、自分でも認めたくはないままに彼に魅かれていきます。

 「水戸黄門」の御一行は「控えおろう」と印籠を出すことができますが、こちらはとんでもないくらい身分の高い旗本でありながら罪ゆえにそれを失った身、いわば「逆黄門様」。玄蕃はしかし、その身分にふさわしい品位や教養を自然と身につけていながら、一方で世事にも通じ、庶民の人情の機微をよく理解して彼等の悩みを解決します。

 宿場町ごとに彼等が関わり合う事件の面白さもさることながら、旅の終わり、蝦夷地への渡航を前にして、玄蕃が越し方を乙次郎に聴かせる長い語りは圧巻。

 150年の戦国時代を経て、徳川家康が長く続く平和の世を期して築いた盤石の政治体制、江戸幕府。その下に諸藩が従う、システムを支えるのが武士という存在。しかしその存在は、明治という近代日本の夜明けで終焉を迎えます。

 玄蕃、乙次郎の運命もこのあと7年で、劇的に変わるはず。それを読者に想像させる余地を残して終わる、さすがのストーリーテラー、浅田氏の手腕にうならされました。
(里)