1942年4月18 日朝、日本の哨戒線ぎりぎりまで接近した米空母から、16機のB25爆撃機が飛び立った。東京、横須賀、名古屋、神戸などを標的とした大東亜戦争初の米軍の本土奇襲により、民間人など87人が犠牲となった。
真珠湾攻撃から約4カ月。快進撃を続ける日本海軍の潜水艦は米国西海岸に迫り、タンカーや貨物船を撃沈し、沿岸の製油所も砲撃していた。苦戦が続く米国民の間には不安と厭戦ムードが広がり、ルーズベルト大統領は焦っていた。
劣勢をはね返す一撃として、大統領が命じたのが先のドーリットル攻撃。これによって戦争継続への支持、前線の兵士の士気も高揚。逆に恐怖にかられた日本は約2カ月後、ミッドウェー海戦に挑むも大敗し、以後、防戦一方となる。
ガダルカナル、レイテ沖、沖縄などことごとく敗れながら、大本営は国民に事実を告げぬまま戦意を煽り、2発の原爆を投下された。広島ではたった一発でその年のうちに約14万人、ドーリットル攻撃の1600倍もの命が失われた。
81年後、ロシアとウクライナの戦争が膠着している。先のサミットでは全会一致でウクライナ支援を再確認したが、各国とも軍事支援を継続するには、ロシアへのドーリットルばりの会心の一撃、圧倒的攻勢がなければ世論が納得しない。
ウクライナの大規模反攻が近い。奪われた領土を奪還すれば戦局の分岐点となるが、返り討ちに遭えば自軍の戦意が消沈し、西側諸国の結束も揺らぎかねない。
世界史、日本史を振り返れば、既成の超大国と跳ね上がりの新興国が軍拡を競い、最後は全面戦争に突入した。国際社会の秩序を守り、米中がそうならぬためにも、ウクライナが負けるわけにいかない。(静)