「カナダ移民の父」と呼ばれる美浜町の旧三尾村の工野儀兵衛さんについては以前、同町を担当したことがあったので知っていたが、恥ずかしながら「ブラジル移民の父」と称されるみなべ町旧岩代村の松原安太郎さんはほとんど知識がなかった。

 松原さんは今年で生誕130周年を迎えており、地元の顕彰団体や県中南米交流協会が記念事業を企画している関係で、少し勉強させていただいた。松原さんは第一次世界大戦に出征後、26歳の時に妻とともにブラジルへ移住。コーヒー農園と牧場の大農場主として成功を収めた。昭和の対戦で国交が断絶し、日本からの移民も途絶えたが、松原さんは日本人移住者が途絶えて現地の日系人が孤立していくことを懸念。食糧難の日本を救う一助にもなると、日本人移住者の受け入れ再開を、親交のあった当時のバルガス大統領に訴えたところ、1952年、8年間で4000家族の日本人移民を受け入れる「松原計画」をブラジル政府が容認した。

 しかし、知る人ぞ知る、大変だったのはその後。移民が開墾するために提供された土地の環境が悪く、逃げ出してしまう移民が続出。計画は事実上失敗に終わり、松原さんはこの件で契約違反に問われ、政府から1億6000万円にものぼる違約金の請求を受け、私財を投げ打ってその半額を返還。のちに日本政府も残り半分を負担。やがて移住事業団(JICAの前身)に移住事業は引き継がれ、約6万人の戦後ブラジル移住につながったという。

 松原さんの思いや情熱を受け継ぎ、両国の一層の交流、友好につなげていくのが、いまを生きる我々の役目。筆者も紙面を通じて少しでもお役に立てればと思う。(吉)