お盆を迎え、夏休みも折り返し地点。小学生の頃、この時期になると宿題という存在に薄々気づくも、まだ半月あるやんと後回しにしていた。そして20日を過ぎたころ、焦って宿題にとりかかる、なんてことが恒例だったなと思い返す。

 今どきの小学生は宿題をAIに頼っているらしい。「アレクサ、5×8は?」と子どもがAIに話しかけると「5×8は40です」と1秒もしない間に答えが返ってくる。ほかにも、Googleレンズでは「宿題モード」という機能があり、スマホのカメラをドリルにかざすと、一瞬で解答が出てきて解説までしてくれる。まさに考える暇もない。一昔前では分からなかったら一通り自分なりに考えて、それでも答えが分からないなら大人に聞いたりこっそり答えを見たりするものだったが、その過程をすっ飛ばしている。〝AIがあるから大丈夫〟という安心感のせいで、考える力が身に付かなくなってしまうのではないか? やはりこれには子どもの将来に不安を感じる大人も少なくないし、子どもの頃から何でも思い通りにスムーズに行く経験をしてしまうと、これからの人生、苦労や困難があってもすぐに挫折してしまう大人が増えてしまうのではないかと思ってしまった。多様な情報環境の恩恵を受けながら育つことはうらやましいが、この先これが未来への原動力になるのか、足かせになるのか、どう転ぶのかまだ見えない。いち大人の杞憂ならばそれでいいのだが。

 そういえば、苦手な算数ドリルでは式を書いては消してを繰り返し、紙がしわくちゃになるまで考えていた。これからはそんな光景は見られないのだろうか。消しゴムの消費量も気になるところだ。(鞘)