慰霊塔に向かって追悼の言葉を述べる三浦市長(源行寺で)

 1953年(昭和28)の紀州大水害(7・18水害)から69年を迎えた18日、御坊市自主防災組織連絡協議会(酒本和彦会長)は薗の源行寺(湯川憲治住職)などで犠牲者七十回忌追悼会を開いた。三浦源吾市長は「記憶と教訓を風化させず、1人の犠牲者も出さないまちづくりを進める」と追悼の言葉を述べ、災害に対する決意を示し、犠牲者に哀悼の意を捧げた。

 7月17日から18日朝にかけて梅雨前線による豪雨が襲い、集中豪雨が発生。山間部では24時間で500㍉以上の雨量を記録し、県内の死者・行方不明者は1015人となった。翌年に町村合併して御坊市となった旧6町村でも日高川の堤防が決壊するなど甚大な被害が発生し、死者と行方不明者合わせて220人が犠牲が出た。

 源行寺で行われた法要には関係者と市民ら約20人が出席。三浦市長は「先人たちが苦労して成し遂げた復興のまちづくりを教訓とし、今を生きる私たちが、発生が懸念されている南海トラフ地震や異常気象による大規模災害に備えた災害に強いまちづくりを進めていかなければならない」と述べ、日高振興局の中井寛局長も「自然災害の脅威を正しく知り、正しく恐れることが命を守る上で重要。行政としても災害対応訓練の実施、自主防災組織の育成などに取り組み、犠牲者ゼロの実現に全力を尽くす所存」と追悼の言葉を語った。

 酒本会長もあいさつで、「全国各地で自然災害の被害が発生しているが、先人たちが『水害の教訓を忘れないように』と言っているように思います。安全安心な地域づくりを進めたい」と述べた。湯川住職が法要を行い、列席者が焼香して犠牲者の冥福を祈った。

 野口の安楽寺でも法要が営まれたほか、関連行事として薗会館では追悼茶会や防災講座が行われた。