和歌山城郭調査研究会が開いた戦国時代の山城跡「手取城跡」の公開見学会を取材した。

 手取城跡は日高川町和佐にあり、東西約500㍍、南北約250㍍ある県内有数の大規模な山城。標高171㍍の山頂に本丸、そのすぐ南に二の丸、東の尾根に東の丸、谷を挟んで西の丸の跡が見られる。見学会では、古い史料や遺構・遺物から導き出された説などが紹介された。特に興味深かったのは、城になる前は山岳寺院だったと考えられているということ。南北に高い山があり、見渡せる範囲が限られるため、決して好立地とは言えないこの場所に城を築いたことが疑問だったが、手取城跡からは、瓦の破片が多く見つかっていることなどからここに寺があり、当時大きな権力を持っていた寺院を居城にすることで権力を見せつけたという。

 遺構の保存状態が良いことも特徴の一つで、敵が攻めてきたとき、移動を妨げるために掘られた「堀切」と呼ばれる空堀が尾根などに連続しているのが見られる。5㍍ほど掘り下げられているところもあり、遮断性に優れた城だったことを示している。500年以上の時を超え、そこに建っていたものや当時の人の暮らし、考えを調査、解明するロマンが少し分かった気がした。

 私が手取城跡に行ったのはこの日が2回目で初めて登ったのは小学校の遠足。当時の様子の記憶はないが、手取城址保存会や和佐区などが定期的に草刈りを行っており、ほとんど変わることなく保全されてきたのだろう。城郭までの道も整備されていて見学しやすく、春には桜も美しいので多くの人に訪れてもらい、注目度が高まればと思う。26年前に旧川辺町が作った詳しい紹介動画「嗚呼手取城」もYouTubeで視聴できるので必見。(陽)