慰霊碑前で式辞を述べる田中会長

 私財を投じてみなべ町内の扇山を開墾した梅産業の先駆者、内中源蔵翁(1865~1946)の慰霊祭が11日、南部梅林にある慰霊碑前で行われた。

 梅の里観梅協会(田中康弘会長)が主催。例年は行政や梅加工会社代表ら約50人が出席しているが、新型コロナ感染拡大防止のため役員ら10人で行った。

 田中会長は「貧村だったこの里の豊かな発展を夢見て、ここから望まれる扇山を拓いて100有余年。幾多の困難を乗り越え、成功に導いた偉業に感謝している。その後多くの先人が遺志を受け継ぎ、最高品種の南高梅を生み出し、日本一の生産量と品質を誇るまでに発展した。日本一の座をより発展させ、次の世代にタスキをつないでいきたい」と式辞した。光明寺(晩稲)の和田教学住職の法要で、出席者が焼香して手を合わせた。