先週まで、10年前の紀伊半島大水害の連載のため取材に走り回った。10年前は大阪在住で、実際の被害の光景も知らず、ニュースで見たのは、より被害の大きかった紀南地方の映像ばかりだったので、当時の状況を知るところから始めた。 

 台風の進路や各地の雨量、日高川や椿山ダムの水位などを調べ、当時の新聞を読んで「こんなに大変なことになっていたのか」と驚いた。中でも、10年前に本紙記者が撮ったまちや川周辺の被害の写真はインパクトが強く、ごく身近な人がこれを経験したのかと寒気がし、本当に恐ろしいと思った。取材では、被害に遭い、多くの物や大切な人を失った人に話を聞いたが、この人たちのように、恐怖を味わったり、辛い思いをした人は何人もいるのだと思った。

 特に印象的だったのは、犠牲者の追悼式典で出会った遺族で、夫を亡くした女性の話。女性は川沿いにある職場が心配になり家を出た夫を「引き留めていれば」と、悔やむ思いを口にして声を詰まらせた。こうしてあの日を何度も思い返し、悔やんでも悔やみきれない思いで10年間過ごしてきたのだろうと感じ、胸が締め付けられた。そして、あらためてこんな災害は二度と起こってほしくないと痛感した。

 濁流となった日高川がのみ込んだ橋や道路、まちの復旧・復興は進み、河川整備やダムの放流制度の変更などで、同じ量の雨が降っても同じ被害は出ないかもしれない。それでも、気候変動の影響で、毎年のように想定以上の災害が各地で発生。その報道がされても、「怖いな」「大変だな」と思いながら結局は「対岸の火事」と認識していないだろうか。身近な人の被害の生の声を受け取り、真剣に災害への備え、万一の時の行動を考えねばならない。(陽)