写真=今月末で生産が終了、95年の歴史に幕を下ろす美浜町の大和紡績和歌山工場

 大正末期に日出紡織㈱松原工場として創業した美浜町吉原の大和紡績㈱和歌山工場(元田尚利工場長)は、今月末で生産を終了する。戦火や水害に見舞われながらも繊維や産業資材の製造で地域の工業や経済をけん引してきた工場は、9月に全業務を終了して撤収。生産拠点集約のため、95年の歴史に幕を下ろす。

 大和紡績和歌山工場前身の日出紡織㈱は、日本資本主義の父と呼ばれる実業家渋沢栄一が発起人の1人となり、栄一のおい大川英太郎氏が関西の有力者とともに1912年(明治45)、日高郡(現御坊市)に設立した会社。松原工場は25年(大正14)に創業し、近代的な工場として日高地方の産業革命の一端を担った。41年(昭和16)に、錦華紡績、出雲製織、和歌山紡績と合併し、大和紡績が誕生した。

 太平洋戦争下は軍需工場となったため敵機の標的となり、動員学徒ら17人が犠牲になるなど空襲に見舞われ、53年(昭和28)の大水害では、約1億4000万円の被害を出すなどしながらも操業を続けてきた。

 55年(昭和30)には御坊臨港鉄道西御坊駅(現紀州鉄道)から同工場までの引込線(専用線)が開通し、84年(昭和59)まで貨物輸送が行われていた。平成に入ってからは、新たな事業展開を図りつつ、ダイワボウマテリアルズ、ダイワボウプログレスを経て、かつての繊維製造技術を生かした産業資材の製造を行ってきた。約6万9000平方㍍の敷地に建屋面積約3万4000平方㍍の工場があり、直近ではこのうち3分の1の施設で製造設備を稼働させ、協力会社を含め約60人の従業員が、土木用の排水資材やトンネル防水シートなどの製造、出荷業務などに従事。県内の高速道路のトンネル工事などにも製品が使用されている。

 和歌山工場の生産終了は、同社の産業資材事業の再編で、国内4カ所の生産拠点を島根県の出雲工場に集約し、原料から製品までの一貫生産体制を構築する。和歌山工場の設備移設作業はすでに進められており、今月末には完了する。残る出荷業務なども順次終え9月ですべての業務を撤収する。

 大和紡績㈱(大阪市)総務グループによると、広大な工場の敷地やノスタルジックな建物などの今後についてはこれから検討していくという。