バルセロナ五輪、柔道71㌔級金メダリストの古賀稔彦氏が53歳で亡くなった。自分より大きな相手を投げ飛ばし、「平成の三四郎」と呼ばれた超人も、病には勝てなかった。

 腕を引っ張り込み、立ったまま跳ね上げる一本背負い。その切れ味は恐ろしく鋭く、はまった相手はまるで大間の漁師に釣り上げられたマグロのよう。柔よく剛を制す、柔道の真髄を見る思いがした。

 スポーツにおいて、体格は大きい方が有利であるのは間違いないが、小さい選手もスピードとパワー、技を磨き、さらに相手の弱点を突く戦法をもってすれば巨漢を倒せる。古賀氏には有名な伝説がもう一つある。

 バルセロナの2年前の全日本選手権。無差別のこの大会で自分より大きな選手を次々倒し、決勝では当時世界王者の小川直也選手と対戦。体重差はなんと54㌔、7分もの激闘の末、最後は足車で一本負けを喫した。

 スポーツジャーナリスト二宮清純氏によると、古賀氏は畳の上を戦場と考え、「戦場で体格の差は関係ない。体が小さいから負けたという兵士などいない」と話していたという。まさに武道に生きる武人である。

 日本人の柔道は、常に一本を狙う点が海外勢の「JUDO」との最大の違い。畳の上が戦場なら、一本負けの意味するところは「死」であり、その極限の中で自分はどう生きる(死ぬ)のか、本性が表れる。

 10年前の福島第一原発事故では、東電の技術者たちが吉田昌郎所長の下、「所長のためなら…」と決死の作業に志願し、日本を救った。この極限下の自己犠牲も古賀氏と同様、武士の精神に通じる。

 東日本大震災からの「復興五輪」と位置づけられる東京五輪。その聖火が福島県をスタートした。(静)