恥ずかしながら学生の頃、あまり将来のことを深く考えてはいなかったが、とにかく国際化の流れの中で英語をしゃべれるようになっておけば、仕事でも私生活でも役立つだろうと思い、大学は外国語大学の英米語学科を専攻した、というか親の援助を受けて大学に行かせてもらった。高校での英語の授業とは違い、講師は外国人。授業を受けるにも、質問するにしても全て英語で、いや応なしに英語が上達する。

 あれから二十数年、大学生活という貴重な体験はいまの人生にも生かされているが、肝心の英語は単語などをすっかり忘れてしまい、会話どころの話ではない。それにしても、英語を使わないと、こうも忘れていくものなのか。新聞記者ということで、毎日大量の日本語を目が悪くなるほど見ているが、英語に接する機会はあまりないし、私生活でも英語を使うことはない。かと言って映画は字幕ではなく、吹き替えで観る。忘れていくのも無理はないのかもしれない。

 ところが、もっと小さい時から英語を学んでいれば、また違ったかもしれない。幼児期から英語に触れることで、英語特有の言い回しや表現方法を自然に理解することができる。一方、ある程度成長した段階で英語を学んでも、頭で意識しないと理解できない。「三つ子の魂百まで」と言うが、幼児期に英語を感覚的に身に付けておけば、そうそう忘れることはないのかもしれない。

 筆者が担当する印南町のいなみこども園でも今月から、外国人講師による英語の授業が始まった。授業風景をみると、園児たちはとても楽しそう。自然な形で英語が身につく環境は、昭和生まれの筆者にとっては大変うらやましく感じた。(吉)