話題作をコンスタントに発表してくれる伊坂幸太郎の近著をご紹介します。全5編の連作短編集で、すべて小学生目線。私が注目したポイントは、著者が「デビューしてから二十年、この仕事を続けてきた一つの成果のように感じています」とこの本について述べたことです。

 物語 小学六年生の「僕」、転校生の安斎、クラスみんなに見下げられている草壁、優等生の女子佐久間の4人は、秘かにある作戦を実行していた。それは、草壁をバカにする言動ばかりとる偏見の持ち主、担任の久留米に一泡吹かせること。安斎は言う。「敵は先入観なんだ」と。「勝手に決めつけて偉そうにするヤツらに、負けない方法がある」と。それは「僕はそうは思わない」そうはっきりと言うことだ。そんな安斎が次々に繰り出すアイデアに従い、「僕」、草壁、佐久間は久留米の価値観をひっくりかえすべく奮闘する。そのチャンスは、プロ野球選手が学校へ来た時に訪れた…。(「逆ソクラテス」)

 「僕」たちのクラス担任、久保先生は大学を出たての若さだけど全然やる気がない。クラスを牛耳る騎士人(ナイト)の指図で、皆が缶ペンケースを落として授業を妨害しても、「落とさないよう気をつけなさい」というばかり。いつも同じ服を着ていて騎士人にバカにされている転校生の保井福生は、「僕」に「ちょっと騎士人を痛い目に遭わせようよ」と持ちかける。2人は騎士人の弱みを握ろうと画策するが、その過程で「教員志望の学生として理想に燃えていたのに、恋人を事故で失って無気力になった」という久保先生の秘密を知る…。(「非オプティマス」)

 「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、みーんな悩んで大きくなった」と、野坂昭如がCMで歌い踊っていたのは1976年。私は現役の小学生でしたが、ソクラテスの名を知ったのは多分その時のこと。「無知の知」すなわち「自分は何も知らない、ということを知っている」という言葉を知ったのはもっとあとでした。「逆ソクラテス」の意味するところは、「何も知らないということを知らない」。 

 「敵は先入観だ」という言葉が、一冊を通じてのキーワード。すべてのタイトルに「逆」「非」「アン」と否定の接頭語などがついていますが、それも内容を象徴しているように思えました。時代の波に流されること、先入観に支配されることを拒否しつつ、自身の作り出す波に軽やかに乗っていくという生き方のスタイルを、子ども世代も含めた読者に鮮やかに提示しているような。「二十年この仕事を続けてきた成果」と著者がいうのは、そのバランスを会得したうえで思い通りに形にし、世に問うことができたという思いなのでしょうか。