1911年(明治44)11月30日生まれの小谷伍長は、太平洋戦争に出征し、陸軍歩兵第61連隊に所属していた45年3月3日、ブーゲンビル島で戦死したという記録が残っている。出征日やいつ南方に向かったのかなど詳しい記録は残っておらず、遺骨や遺品などもなかった。ブーゲンビル島は終戦まで戦闘が続き、2、3万人の日本兵が戦死したといわれる激戦地。43年には山本五十六連合艦隊司令長官が敵機に撃ち落とされて戦死した場所でもある。

 日章旗は戦利品として米兵が持ち帰っていたとみられ、亡くなった所有者の遺族が遺品整理している際に見つかったという。日章旗など遺品の返還に取り組んでいるアメリカの非営利団体、OBONソサエティを通じて日本遺族会に問い合わせがあり、同姓同名が2人該当し、調査の結果、和歌山県出身と判明。県遺族会長を務めるみなべ町北道の杉本正博さん(75)らの尽力により、一美さんへの返還が実現した。

 みなべ町役場で返還式が行われ、小谷芳正町長、杉本会長、みなべ町遺族会の西山博康会長、天野仁副会長の立ち合いのもと、一美さんに手渡された。日章旗は縦約70㌢、横約100㌢の絹製。「祝小谷幸一君入営」と大きく書かれ、入営を祝う寄せ書きがずらり。「徹心開運」「忠誠」の言葉とともに、大佐や大尉、中尉、少尉ら上官の名前がぎっしりと書かれており、国のために身を捧げた当時の思いが伝わる。保存状態もよく、小谷町長らは「持ち帰ってそのまま保管していたのだろう」「74年ぶりに戻って来るなんて、奇跡」と思いをはせた。

 一美さんは、幸一さんとの面識はなく、父の与一さん(享年79)から「弟は戦死した」ということしか聞かされていなかったという。日章旗と対面し、「(叔父は)家に戻ってきたかったのだと思います。仏壇に供えて、父に『弟が帰ってきたよ』と報告したい。来年は父の三十三回忌があるので、一緒のお墓に日章旗を入れてあげることも考えたい」と話した。

 杉本会長は「この日章旗が、戦争は二度としてはいけないということを、多くの人に知ってもらうきっかけになれば」と平和への思いを新たにしていた。

写真=姪の小谷さん(左から2人目)に返還された日章旗