郷土の歴史等について学ぶ日高郷土学が17日に御坊市の日高港EEパークで開かれ、塩屋文化協会(溝口善久会長)の阪本尚生副会長が「南方熊楠と羽山家の人々」をテーマに、江戸時代から明治時代にかけ医家として名を馳せた羽山家と南方熊楠の関わりについて語った。熊楠は羽山家の兄弟ととても仲がよく、洋行前に6回訪問、計70日にわたって滞在したなどの話に、来場者は興味深く聞き入った。

 阪本さんは、昨年3月に同協会が発行した冊子「積善の家 羽山家の記」で編集を担当した。羽山家は現在のもりばた医院(北塩屋)の場所にあり、江戸時代後期の羽山維碩(1808~1878)は若いころ華岡青洲に学んだ。種痘を全国に先駆けて日高地方に普及させたことで知られる。その養子となった甥の直記(1846~1902)も医師で、和歌山医学校を卒業して維碩の後を継いだ。

 直記の息子、繁太郎と蕃次郎が熊楠と無二の親友で、日記や書簡にもひんぱんに登場。熊楠の父は日高川町入野出身だが、父の実家よりも羽山家に滞在した日数の方が遥かに長いことなどを紹介し、洋行直前に2人と別れた時のことをのちに回想し、「忘るなよとばかり言ひて別れにしその朝霧のけさぞ身にしむ」との短歌を詠んだこと、ロンドン滞在中に兄弟とも若くして結核で他界し、「外国にあった日も熊野にあった夜も、かの死に失せたる二人のことを片時忘れず、自分の亡父母とこの二人の姿が畳も夜も身を離れず見える」とつづった手紙の一節も紹介。阪本さんは「『知の巨人』として世界的に有名な熊楠が、当地の羽山家と深いつながりがあったことを知っていただきたい」と話した。

 続いて、溝口会長は「熊野詣で時代の塩屋王子」をテーマに、塩屋王子で白河上皇らが歌会を開いたことなど、和歌を紹介しながら詳しく語った。合間に和歌山南陵高校教頭の竹下遼さんがクラリネットを演奏し、好評だった。

写真=羽山家と熊楠の関わりを語る阪本さん