江戸時代中期のわずか10年ほどの間にしか制作されず、幻の焼き物といわれる御坊発祥の「善妙寺焼」の皿を所有する御坊市島、中野ひろさん(93)がこのほど、5枚すべてを御坊市に寄贈した。市教育委員会では今後、塩屋町の歴史民俗資料館で大切に保管し、多くの人に見てもらえるよう期間を設けての展示も検討中。現存する品が非常に少なく、愛好家らから人気を呼びそうだ。
 善妙寺焼(紀伊国名所図会では「善明寺焼」)は、御坊市島の善妙寺6世住職の玄了が手がけた焼き物。
 中野さんは、150年前、小松原村に落ち延びた山川浩ら会津藩士を命がけで助けた旅館「中屋」経営の中野家の本家で、夫の父はのちに本町に移転して「中吉旅館」に改名した中野吉右衛門。中野さん自身も若いころから文化財に興味があり、45年ほど前、当時の文化財保護審議委員の人に「中野さんの家に善妙寺焼があると思うけど」といわれていたという。当時はどこを探しても見つからなかったが、それから約45年後の昨年、中野家の新家に当たる御坊市本町の中野健さん(64)=横浜市在住=の実家で見つかり、話題となった。箱には「善妙寺焼皿 五枚」と書かれており、中には皿5枚が保管されていた。本来の持ち主であるひろさんの手元に戻り、「よりよい方法で活用してもらえれば」と市に寄贈した。ひろさんは「善妙寺とうちは親戚関係。どういう経緯で善妙寺焼をもらったのか、どのようにして健さんの実家に渡ったのかは分かりませんが、無事見つかってよかった。少しでも御坊に貢献できればとの思いを込めて寄贈しました」と話している。市教委では「善妙寺焼のことを解明するのに非常に貴重な資料で、本当にありがたい。多くの人に見てもらえる機会も作りたい」とし、具体的には今後検討していく。
 善妙寺焼は玄了一代の制作で、寛延年間(1748~1751年)から亡くなった宝暦9年(1759年)にかけて、わずか10年前後の間に個人の趣味的に焼かれたとされている。材料の粘土は名田町楠井の「善妙寺畑」と呼ばれた場所で採集し、善妙寺近くの「経野(きょうの)」と呼ばれる場所に窯跡があったとされるが、詳しいことはまだ分かっていない。現存する善妙寺焼では茶室で花を飾る「籠形花生」が有名だが、茶碗や皿などさまざまな種類の焼き物も手掛けていたという。