もうすぐ4歳になる長女の幼稚園でカルタ大会があった。正月休みごろから家にもカルタを持ってきて練習していたのだが、このときの大人の対応がなかなか難しい。わざと負けてあげながら一緒に楽しむのか、少し強めに大人の力を見せ付けて向上心を育てるべきなのか。おそらく、絶対にこうだという正解はないから、子どもの教育は悩ましい。
 運動会前も同じような経験をした。父親の血を受け継いだのか、娘も走るのが速くない。自分のように苦手意識が染み付いて走るのが嫌いになってほしくはないので、煙樹海岸多目的広場へ練習に行った。いくら走るのが遅くても娘よりは当然速い。娘には少し前を走らせてやるべきか、それとも後ろをついてこさせるべきか。抜いたり抜かせたり、ちょうどいい加減を探しつつ、少しでも走るのが楽しいと感じてもらえるように一緒に芝生の上を駆け回った。その成果が出たのか、本番では最下位でも笑顔いっぱいに走ってくれたので親としてうれしかった。
 明石家さんまさんは子どもと遊ぶ際、「打てるようなボールを投げて打たせるのもそうだが、全力で速いボールを投げて打たせないのも優しさ」と言っていた。なるほどと、子どもへの愛情論に感心したのを思い出した。厳しさを感じさせるのも、楽しさを体験してもらうのも、どちらも必要で双方に意味がある。
 父親似か、しゃべりは達者な娘。妻は「(屁理屈をいうのは)あなたの真似」という。似てほしいところは似ず、似てほしくないところが似るなど子育ては難しい。とにかくカルタやかけっこを通してでも、親の、それに周囲の人から注がれる愛情ぐらいは感じ取れるよう成長していってもらいたいものだ。(賀)