7、8年前に軽い脳梗塞になったことがある。後遺症が残らずに済んだのが、まさに不幸中の幸い。当時を振り返ると、家の中や職場の事務所で、不意に肩が柱などに当たったりする違和感が症状だった。明確なところで言えば、パソコンのキーを普段通りに打つことが出来なかったこともあった▼これで思ったのが、普段は体自身が無意識の中で柱や壁に当たらないよう微妙に調整しながら行動しているのではないかということ。医師でも学者でもない筆者のあくまでも個人的な考えだが、この無意識の行動は生活の中でかなり大きなウェートを占めているのではないかとも思う▼先日、NBC(ナンキ・ブッディスト・クラブ)主催の仏教講演会が田辺市で開かれ、相愛大学人文学部教授で浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗師(大阪)が「現代人の仏教講座」のテーマで語った。苦しみや憎しみの連鎖を解決するポイントとして「身体、言葉、心の3つを調えることが大切」と主張した。このうちで特に印象に残ったのが「身体を調える」。暗闇の中で行動する時に体自身が感じとりながら動いていることなどを例に挙げながら説明し、「2001年に起きた明石花火大会歩道橋事故では、体験者が『身の危険を感じるような異様な雰囲気だった。しかしみんなが行っているので流れに従った』と証言している。『行く』ことを選択した頭より、危険を察知した体の方が賢かったといえる」など語った▼現代社会には不便さを感じることは少ない。指1つで物事を済ませることも多いが、この便利さが体自身の知性を衰えさせているという。「凶悪犯罪の増加」、「すぐにキレてしまう子ども」など現代社会の問題にも深いつながりがあるのではないか。 (雄)

