江戸時代後期、全国を歩いて日本初の実測地図を制作した伊能忠敬(1745~1818年)の測量業務を支援した人たちの子孫を探そうと、東京に拠点を置く伊能忠敬研究会が支援者の名前等をネットで公開。メディアを通じてPRを始めて1年半近くが過ぎたいま、全国で100人近くの子孫が名乗り出ているが、和歌山県内の子孫は1人もいないという。
 研究会は、「測量は幕府の理解、受け入れた諸藩、町村の膨大な協力により完成されたものであって伊能隊のみの成果ではない」とし、没後200年に当たる来年秋に関係者の子孫らの交流顕彰発表会の開催を企画。測量日記28巻、延べ4600日分に記されている人名(約1万2000人)を拾い上げてデータベース化し、各市町村別に宿の提供者や出迎えた人、あいさつに来た人らの名前が整理されている。
 御坊市では、文化2年(1805)7月27日(8月21日)、上野村(現名田町上野)の記録として、宿舎が「治郎兵衛」「利右衛門」、見舞いが「大庄屋の宮井条右衛門」、中食(昼食)が「西地村」と記載されている。検索は伊能忠敬e資料館http://www.inopedia.tokyo/database/
 問い合わせは伊能忠敬没後200年記念伊能測量協力者顕彰大会事務局(千葉県山武市の戸村茂昭さん)℡080―5419―8078。