東日本大震災からきょうでちょうど6年。津波の恐ろしい破壊力はいまでも目に焼き付いている。思い起こされる言葉もある。おととし9月、宮城県石巻市を訪ねたとき話を聞かせてくれた、佐藤敏郎さんの言葉。佐藤さんは、児童74人と教職員10人の84人が死亡・行方不明となった大川小学校で当時6年生だった娘を亡くされた。大川小は海岸部から4㌔も上流にあり、津波が川を遡って学校をのみ込んだのは地震発生から51分後。目の前には裏山があったのに、避難誘導が適切でなかったと現在も係争中。佐藤さんは「先生方も一生懸命だったはず。でも子どもたちを救えなかった。それはなぜかを考えなければ」。以前にも紹介したが、節目には伝えたい言葉だ。
 先日の大手新聞で掲載されていた大川小の記事に胸が熱くなった。父がこの大川小学校で教員を務めていて犠牲になった大学生が、語り部として悲劇を伝える活動を始めたという内容。当時の教員を父に持つ大学生と、子どもを亡くした佐藤さんが一緒に、大川小で起こったことを多くの人に伝えようとしている1枚の写真から、悲劇を繰り返してはいけない強い思いが伝わってきた。
 一方で、悲しい記事もあった。福島第一原発事故の影響で避難した児童生徒が、いじめに遭っていたケースが全国で多数あるという。あの未曾有の大災害から立ち上がろうと日本中で手を差し伸べあった心は、子どもたちには届いていないのかと思うと情けない。目に見える復興は進む半面、あれほど感じた「絆」は弱まっているのだろうか。風化という言葉も現実味を帯びてきたのか。震災から6年、大人として考えなければならないことはまだまだ多い。     (片)