また1人、貴重な時代の証人が亡くなられた。美浜町三尾の小山ユキエさん、享年101。カナダで生まれ、子どものころは三尾で育ち、昭和13年12月、同じ三尾出身の佐平次さんと結婚し、3カ月後には夫婦でリッチモンド市のスティーブストンに移住。終戦直後の20年12月まで約7年半、カナダで暮らし、21年1月に一家で三尾へ戻ってきた。
カナダでは佐平次さんがサケ漁に従事し、ユキエさんもサケの缶詰工場やイチゴ農園などで働いた。戦争中は日系人に対する移動命令が出され、家族は収容所へは入らずに済んだが、内陸部への移住を強いられた。戦後、カナダ政府は日本人移民に対し、「カナダへ留まるか、日本へ帰るか」の意思を確認。ユキエさんの家族は残るつもりだったが、三尾の親類に説得され、最後の引き揚げ船に乗って帰ってきた。
5年前、自宅を訪ねて話をうかがった。質問はどうしても戦争や日系移民の苦労話に傾いてしまうが、「私たち日本人に対する差別やいやがらせはまったくなかったですよ」と笑っておられた。真夏に扇風機もかけない元気さに驚き、ていねいに取材に答えてくれるなか、カナダが「キャナダ」と聞こえる英語の発音にアメリカ村を感じた。
「近所の友達とおしゃべりをするのがいまの一番の楽しみ。年寄りはとにかく外へ出なきゃね」。100歳近くまで地元のグラウンドゴルフサークルでプレーをされ、移民の歴史を学ぶ大学生やメディアの取材にもいつも快く対応されていた。
「アメリカ村」も漁港近くのバス停にその名前が残る程度となったいま、「みんな力を合わせて楽しく暮らしていた」というユキエさんの言葉を思い出し、移民の歴史からまちの未来、国家の将来を考えたい。 (静)

