ニューギニアに太平洋戦争で出征し、昭和19年6月10日、20代で戦死した由良町旧由良村出身の西脇邦佶さんの遺品とされる「日章旗」が見つかり、19日に同町役場で遺族に引き渡された。元米兵の家族が保管し、70年余りの時を経て日本、そして遺族の元に戻った日の丸の寄せ書きを前に、関係者は不戦の誓いを新たにしていた。
日章旗は縦60㌢、横80㌢。絹製の日の丸の旗で、「西脇邦佶君」「祈武運長久」と大きな字で書かれ、西脇さんが勤務していたとされる会社名と従業員とみられる氏名が寄せ書きされている。西脇さんは8男2女合わせて10人きょうだいの末っ子として生まれた。出征時の階級は陸軍准尉。日章旗は元米兵が戦地から持ち帰り、他界後にアメリカノースカロライナ州に住む子どもが保管していたが、アメリカで日章旗返還運動に取り組む団体「OBONソサエティ」を通じて遺族への返還を希望。この団体から日本遺族会、和歌山県遺族連合会、日高郡遺族連合会に連絡があり、遺族を探していた。関係者によると、日章旗が見つかっても、遺族が判明して返還されるケースは少ないという。
日章旗の引き渡しの際には、日高郡遺族連合会会長で県遺族連合会副会長の杉本正博さん(73)から、西脇さんの長兄の孫に当たる西脇公一さん(65)=里=に手渡された。西脇さんのおいの梶哲雄さん(86)=大阪市=とめいの山本一恵さん(73)=江ノ駒=も同席。畑中雅央町長、由良町遺族会の宮西里美会長、日高郡遺族連合会の田嶋弘章監事が立ち会った。
その場で、日章旗を保管していた家族からの「70年以上に渡り私たちが保管させていただき、ご家族の元にお返しできますこと、この上ない喜びでございます。私たちの父は戦争について一切話すことはありませんでしたが、この世で二度とあのような悲劇が起こりませんよう願います」とのメッセージも紹介された。今回、日章旗という形での〝帰還〟に際して、公一さんは「遺品が一つもなく、戻ってきてくれたことは大変ありがたい。戦死した大叔父も喜んでいることと思う」とかみしめるように話し、杉本会長は「私の父も戦死したが、自分たちの家族の遺品が戻ってきたようなうれしい気持ち。これを機会に戦争の悲惨さを後世に伝え、戦争のない平和な世の中になるように」と願いを込めていた。

