褒章、叙勲、大臣表彰、知事感謝状、町の文化賞など、各分野で長年活躍、功績の大きかった個人や団体をたたえる表彰のニュースが続く。当局が突然発表するケースも少なくなく、記者は大慌てで本人にアポをとり、取材に走り、締め切りまでに記事を書き上げねばならない。ある意味、いまは記者泣かせの季節ともいえる。
一般に、新聞の読者はこれらの表彰のニュースを見て、受賞者が自分自身や仕事上でも関係がなければさして気にはならず、ざっと流し見る程度で終わる。しかし、それが自分の知り合い、しかもよくつき合いのある人であれば、電話やメールでお祝いの言葉も伝えたくなるのが人情というもの。ところが...。
以前、国レベルの大きな表彰に関し、日高地方ではない都会に住む友人からこんな話を聞いた。「今度の○○表彰の受賞者の○○さんって、仕事でお世話になってるけど...こんな表彰って、なんでもええんやな...」。ようはその受賞者が人間的にも仕事の面でも、表彰に値するような人物とはとても思えないと。
また、ある大手の先輩記者は、叙勲の受章者が発表され、気持ちよく受けていただけるはずの取材を申し込んだところ、まさか電話にも出てもらえず、かたくなに拒否された。よくよく事情を聞いてみると、勲章の等級に納得がいかず、「自分はもっと(序列が)上のはずだ」と立腹されていたらしい。
受賞者のすべての功績が周囲に見えるわけでなく、記事に書ききれるわけでもないが、ときに巷間、こんな話が囁かれるのも事実。推薦者は相場感覚の功績作成、表彰者は年中行事の事務仕事に終わらず、時間に追われる記者も含め、それぞれに見えざる功績を掘り起こす努力が求められる。(静)

