アメリカ・テキサス州で昭和44年に完成したジャパニーズガーデンに、かつて咲き誇っていた故阪本祐二氏が分根した御坊生まれの「舞妃蓮」を復活させようと、祐二氏の長男の尚生さんらが活動を始めている。ジャパニーズガーデンが3年後にオープン50周年を迎えるのに合わせた取り組みで、アメリカへ分根する準備を進めており、およそ半世紀ぶりに海を越えて花を咲かせるか、期待が膨らんでいる。
 テキサス州の州都オースチンの13㌶もの広大な敷地を誇るジルカー植物園の中にあるジャパニーズガーデンは、和歌山県紀北地方出身で、同州に移住した故谷口勇氏が自費を投じて整備した。谷口氏は造園技師で、70歳のとき、18カ月かけて静かな庭園を設計、完成させており、「イサム・タニグチ日本庭園」とも呼ばれている。谷口さんと阪本氏に面識はなかったが、1本のラジオ放送が2人を結びつけた。
 一時帰国した谷口さんがたまたまラジオをつけると、馴染みのある和歌山弁が流れたため聞いていると、阪本氏が昭和41年に大賀ハスと王子ハス(アメリカ黄バスの一種)をかけ合わせて舞妃蓮を誕生させたことなどを語っているのが耳に入った。この放送がきっかけで谷口さんから受けた分根の依頼を阪本氏は快諾し、44年、大賀ハスと舞妃蓮をテキサス州に送った。阪本氏は49年、アメリカへハスの視察に行った際、谷口さんの案内で弘子夫人とともに咲き誇る舞妃蓮を観賞している。阪本氏はこの視察の約5年後に急逝。谷口氏も亡くなり、蓮池は残ったが、舞妃蓮などのハスは長い間途絶えていた。
 そんなジャパニーズガーデンにハスを復活させようと動き出したのが、松下電器で半導体の開発等に携わり、現在はNPO法人IMAGINEの理事を務める釘宮公一さん(大阪)を中心とした日本人有志。釘宮さんはテキサス大学に留学経験があり、ジャパニーズガーデンも訪れていた。ガーデンが平成31年で50周年を迎えるのに合わせ、以前のハス池を復活させようと調べると、舞妃蓮が御坊生まれであることが分かり、御坊市を通じて昨年12月、阪本さんに連絡が入った。阪本さん宅の舞妃蓮を父子2代で再びテキサスに分根する計画になった。
 ただ、簡単に海を越えられるわけではないという。生態系への影響などから植物を国外に送るには厳しい検疫があり、スムーズに分根できるかどうかは分からないのが現状。このような状況から時間がかかることを予想して、50周年は3年後だが、ことしから分根に向けて準備を進め、来年春ごろにアメリカへ送ることにしている。阪本さんは「いろんな偶然が重なって舞妃蓮がアメリカに渡り、およそ半世紀経ってこうして再び脚光を浴びたことに不思議な縁を感じます。簡単に分根できるわけではないので、無事に海を渡って、再びアメリカで美しい花を咲かせることを願っています」と話している。