最近、2025年問題という言葉をよく聞く。団塊の世代が後期高齢者となる75歳に達するのが2025年なのだ。4人に1人が75歳以上となり、これまで社会を支えてきた世代が今度は給付を受ける側となり、医療、介護、福祉のニーズが急速に高まり、社会保障財政のバランスが崩れるともいわれている。医療と介護の連携、在宅医療態勢の確立がいま盛んにいわれているのもよく分かる。医療や介護分野の講演会や研修会の取材も年々増えているのを肌で感じる。
同時に、看取りという言葉もよく聞かれるようになった。人生の最期をどのように迎えるか、四十路の筆者の世代はまだそこまで考える余裕はないが、終活と呼ばれるように準備する人も増えてきている。自分の葬式や墓、財産や相続、また病気になった場合に延命措置を希望するのかなど、あらかじめ本人の意思をはっきりさせておくことは大切なことだ。先日、社会医療法人黎明会の講演会で、元バリバリの外科医でいまは老人ホームで勤務する石飛幸三医師の話を聞いて、あらためて意思表示の大切さを感じさせられた。
石飛医師いわく、栄養剤を投与し続けて長生きするよりも、自然に最期を迎える方が幸せなのではないかと。それはいかに最期を迎えるかというよりも、普段をいかに生きるかが大切なことだといわれているように感じた。筆者の世代なら、いかに毎日を充実した日にするかであろう。以前も紹介したが、アップル社共同設立者の故スティーブ・ジョブズ氏は毎日自分に問いかけていたという。「今日が人生の最期の日なら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」と。毎日を後悔なく全力で生きる、心がけたいことである。(片)

