梅のトップブランドとして知られる南高梅が昭和40年に種苗名称登録されてから、29日で50周年を迎えた。みなべ町とみなべ梅対策協議会は同日、保健福祉センターで記念式典を行い、約150人の関係者が先人に感謝の気持ちをささげた。南高梅誕生に功績のあった故人8氏に感謝状を贈り、小谷芳正町長は「梅産業はいま厳しい時代だが、世界一の梅の郷づくりへ邁進していきたい」と決意を語った。
 小谷町長はあいさつで、南高梅が誕生するまでの経緯を説明しながら「昭和52年に一大消費地である関東地方に出荷したものの特性を評価されなかったが、その後に農協や生産者の努力があり、いまでは『青梅といえば南高梅』という評価を受けるようになった。梅干しについても減塩や調味梅干しなどが開発され、需要が大幅に拡大した」と歴史を振り返り、今後の梅産業について「消費が低下してかつてない厳しい状況だが、400年続いた梅産業を後世に継承することこそが責務。生産者、加工業者、農協、行政の4者が連携を密に取り組み、機能性の研究、世界農業遺産認定などを進め、世界一になるよう邁進します」と決意。田中昭彦議長も「まだまだ認知されていない部分もあり、伸びしろはある。町人口の7~8割が梅と関わりがある基幹産業。今後、50年、100年と栄えるように願っている」と述べた。
 席上、南高梅誕生に功績があった故人の髙田貞楠氏(遺族・髙田智史さん)、谷本勘藏氏(同・谷本紀子さん)、竹中勝太郎氏(同・竹中俊雄さん)、小山貞一氏(同・小山利昭さん)、糸川國太郎氏(同・糸川昭三さん)、日置文蔵氏(同・日置秀夫さん)、中松文太郎氏(同・中松清剛さん)、中本留吉氏(同・中本太さん)に感謝状を贈呈。遺族一人一人に手渡した。このあとビデオ「南高梅誕生の奇跡」が上映され、最後は梅ジュースで乾杯した。
 南高梅誕生の経緯は、梅の優良品種を統一し市場の安定を図るため昭和25年に優良母樹調査選定委員会が発足、5年間にわたって調査を実施。南部高校園芸クラブの生徒も協力したことから、学校の名前に由来した「南高」と名付けた。昭和38年には種苗登録を出願し、40年10月29日に農林大臣から許可を受けた。