みなべ町埴田、鹿島神社(堅田省三宮司)の奉納花火祭は日高地方のトップを切って1日に南部海岸で催され、大勢の家族連れらでにぎわった。「江戸時代に発生した津波の際、鹿島が地域を守ってくれた」と言い伝えが残っており、感謝の気持ちを込めて行われている。仕掛けや早打ち約1200発の花火で夜空を彩った。
 ことしも午後8時から開始。浜辺には各地区のちょうちんが立てられ、祭りムードを盛り上げた。海岸や国道42号線沿いの歩道は観衆でにぎわい、次々に打ち上げられる大輪に歓声を上げて見とれていた。早打ちや仕掛けなどさまざまな種類の花火が夜空を彩り、観衆らは「わあ、ハート型の花火」「一番最後の花火が大きくて、きれいだった」と光と音の競演を楽しんでいた。神社周辺には夜店も並び、浴衣姿の子どもたちが楽しむ姿もみられた。
 江戸時代、宝永4年(1707年)と安政元年(1854年)の地震で大津波が打ち寄せてきたが、南部湾の鹿島から怪火が現れて津波を東西に分けたという。海岸の住民らは「鹿島の大明神が守ってくれた」と毎年感謝の気持ちを込めて花火祭が行われている。奉納祭の起源は宝永の大地震の翌年の1708年6月15日とされ、当時はたいまつやちょうちんを鹿島明神に手向ける形だったという。江戸時代後期、大庄屋だった南道の鈴木氏らが花火の技術を学び、仕掛け花火を奉納。その後は各字が製造して技術を競った。現在も、同神社には当時花火の打ち上げに使われた筒2本が残っている。