入社10カ月が過ぎたころ、平成9年の年明けから3月にかけて、ほぼ毎日、日高川町(当時中津村)西原の日高中津野球部グラウンドへ通った。全国分校初の甲子園出場を決めた若アユナインの取材のためだった。夕方から始まる練習に合わせて車を走らせ、真っ暗になるまでグラウンドで取材。そのときの紙面を見ると、18年も前になるが記憶が鮮明によみがえってくる。
「人に話を聞くだけでなく、自分の目でもしっかりと選手たちを見ることが大事」。垣内邦夫監督には甲子園を間近に控える中、貴重な時間を割いていただいただけでなく、いろんなアドバイスも受けた。当時、社会面に掲載する記事のほか選手、女子マネジャー、その他の関係者ら31人を紙面で紹介する囲み記事も担当。主力選手のことは頭に入っていたが、控え選手になると監督に一から話を聞かなければ特徴を伝えることができなかった。原稿の締め切りに追われる毎日、監督の話に頼りっぱなしになっておろそかにする部分が出そうになったときに、現場で五感を働かせて取材するという、記者としてあるべき姿勢を駆け出しの身の筆者に教えてくれたことを覚えている。また、練習が終わるとスポーツ紙のOB記者とともに食事に誘ってくれ、そんな席でも参考になる話をたくさん聞かせてもらった。「全国分校初の甲子園」というビッグニュースに入社1年目で携われたのは本当に幸運。筆者にとっては記者の仕事の原点であり、大きな財産といえる取材だった思う。
垣内監督は初芝橋本戦に敗れ、退任となった。最後の夏、もう一度甲子園へという夢がかなわなかったのは残念だが、分校野球を全国に知らしめた功績にあらためて拍手を送りたい。 (賀)

