ここ数年、4月初めの本欄にはいつも桜のことを書いているが、もうシーズンも終盤。ほろほろと青い空に舞う花びら、風に乗って路面をころがるように飛んでいく花びらには、盛りの頃にない風情がある。名所だけでなく、公園の一角や祠などのそばに立つ名もない桜にも心動かされる。やはり日本の春を象徴する花は素晴らしいと、この花の時期はずっと心浮き立つ思いでいる.。 
 しかし桜を詠んだ詩歌は数多いのに、小説となると数えるほどしかない。一瞬の感動をとらえる俳句や短歌と違い、人生の苦難をじっくり書き綴る小説という手法にはこの生命感あふれる花はなじまないのだろうかと思っていたが、最近読んだ宮本輝の小説「三千枚の金貨」では桜が重要な役割を果たす。
 主人公が入院先の病院で見知らぬ患者から「和歌山県のある桜の木の根元に三千枚の金貨を埋めた。見つけたらあんたにあげる」と言われる。43歳の文具メーカー役員である主人公はそんな話を信じていなかったが、あることをきっかけに仲間と3人で金貨探しを始める。紆余曲折の末、3人は当地方よりもう少し北側のミカン山でその桜を探し当てる。40代という社会の中堅に差し掛かった主人公達の背負う諸々の悩み、人生の不思議について丁寧に描かれた大人のファンタジー。「和歌山県のどこかにある三千枚の金貨が埋まった桜」は、都会で働く主人公達の夢の象徴ともなっている。
 昨年野鳥に食べられた印南町のソメイヨシノが気になって見に行ったところ、昨年の荒涼とした景色が嘘のように、薄紅色の花が見事に咲き広がっていた。桜は暦のように、年ごとにそれぞれの風景、それぞれの物語をつくっていく。 (里)