先日、日高川町和佐の手取城跡で、地元和佐小学校児童の植樹を取材した。城跡への桜の植樹は60年ぶりで当時、地元住民らによって約200本が植えられたという。そのかいあって城跡は辺り一面桜の木で覆われ、桜の名所としても有名。そんな桜も数十本がシカ被害などで枯れてきており、児童は手取城址保存会のメンバーらとともに苗木を丁寧に植えていた。
 日高川町の担当になって十年近くなるが、今回初めて城跡まで足を運んだ。中世の豪族、玉置大宣(ひろのぶ)が築いたとされる城は、県内最大規模と言われる中世屈指の山城で、標高171㍍の山頂を中心に位置。山の中腹まで車両で上り、残り750㍍を歩いて山頂を目指したが、山はとてつもなく険しくて高く、城跡に着くと、よくこんなところに東西380㍍、南北200㍍の広大な城域を誇る山城を建てたものだとあらためて感心した。城には竪堀や横堀、土塁(どるい)などで防備が固められ、幾つもの曲輪(くるわ)を配置し、多くの空堀もあったという。難攻不落とさえ思える城を攻めるのに敵は手をこまねき、苦労したことは想像に難くなく、亀山城主の湯川直春はどのようにしてこの城を落としたのかなど歴史ロマンに思いを馳せた。
 そんな手取城は、先日発売されたマガジンシリーズ「週刊日本の城」で詳しく紹介され、県立博物館では、10代目城主・直和の爪が来月下旬から展示されるなどちょっとしたブーム。手取城址保存会の関係者は「手取城と玉置氏の偉大さを知ってもらう機会」と話す。城跡の桜は間もなくシーズン。児童が植えた桜の木の成長を願いつつ、美しい桜見物を楽しみながら、歴史に触れてみるのはどうだろう。    (昌)