15日、午前3時過ぎに目が覚めた。そんな時間に起きることは滅多にないが、「ソチ五輪男子フィギュアスケートで日本勢が出ている」と思い出してテレビを見始め、羽生結弦が男子フィギュア初の金メダルを獲得する瞬間を目の当たりにした。
 8年前のトリノ五輪当時、唯一の日本人金メダリスト荒川静香のことを本欄に書いた。「自分の番がくるまで他の選手の演技はまったく見ず、イヤホンで自身の演技用音楽を聴いて集中していた」という競技に向かう姿勢、観る人に鮮やかな印象を残したイナバウアー(正確にはレイバック・イナバウアー)を、点数には関係しないがあえて構成に組み込んだ心意気に感銘を受けたのだった。
 先月、荒川静香と羽生選手出演のトーク番組を観て、2人が共に仙台出身だったことを知った。羽生選手が11歳だったトリノ五輪当時、アイスリンク仙台は経営難で閉鎖することになっていたが、金メダルを獲った荒川静香の競技環境悪化を憂える一言で自治体が補助に乗り出し、存続が決まった。羽生選手はそのことを忘れず、感謝していたという。
 2011年、そのリンクは東日本大震災で被害を受けて閉鎖を余儀なくされた。その後、復興支援を得て再開。羽生選手は「東北にリンクは一つしかない。自分も競技で結果を出し、環境を整える役に立ちたい」という意味のことを述べていた。
 1位を決めたソチのリンクで、上体を反らして軽やかに滑っていった羽生選手のレイバック・イナバウアー。そのしなやかで力強い姿に、世代を超えてバトンのようにしっかり受け継がれた意志を見た気がした。スケートという競技を通じ、人と人がつながっていこうとする意志を。  (里)